ふくろうの本棚

ふくろうには似ても似つかない限界独身男性が色んなことを書きます

でたらめの科学

 最近引っ越した部屋にはテレビが無いため、Youtubeを見る時間が以前よりも増えた。特にハマっているのはゲームのリアルタイムアタック、いわゆるRTAの動画だ。これは、様々なルール(レギュレーション:例えばバグ技は使っていいとか、収集要素は全て回収しなくてはならないとか)の下、ゲームのクリアにかかる時間を競うものだ。個人が自分の動画を上げているものもあるし、組織だった運営を行っているものもある。対象ゲームにはファミコンからPS4まで幅広く選ばれているが、自分が小学生ぐらいのときにクリアできなかったスーパードンキーコング3ゴエモンを様々なテクニックを駆使してクリアするのを見せつけられるとなんとも小気味よい。この、スーパードンキーコング1から3をリレーでクリアする動画は何度か見てしまっている。

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ゲームと乱数

 RTAプレイヤー(走者とも)が嫌うものの一つに乱数がある。乱数とは、その名の通り「でたらめ」であり、次に出てくる数が予測できない数である。綿密に練られた工程に沿って最速を目指すRTA走者にとってはタイム遅延要因でしかないが、本来「でたらめ」はゲームを盛り上げるための要素だ。草むらで次に現れるポケモンがランダムであるからこそ、トキワの森ピカチュウをゲットできればテンションが上がる。ガチャで引かれる英霊がランダムであるからこそ、マスターの課金へのインセンティブは高まる。しかし、もしこの「でたらめ」に綻びがあればどうなるだろう?「でたらめ」に規則性があれば、プレイヤーは特定の手続きを踏むことでピカチュウを簡単にゲットできる。これは実際に有り得て、これを逆手に取るのが「乱数調整」と呼ばれるテクニックだ。また、「でたらめ」が運営に操作されていたら、マスターは目当ての英霊を引くことができず、ひたすら搾取され続ける。これも確か実際の事例であったはず。

身近なところにも乱数

 なにもゲームだけではない。乱数は我々の生活の様々なところに使われている。日本国民全員にアンケートを取ることは難しいため、一部の回答者を選ばざるを得ない。ここで、回答者をランダムに選ぶことで、特定の偏り(男性が多いとか)を生じさせないようにする。インターネット上で安全に情報をやりとりするためには、情報が敵の手に渡っても意味がわからなくなるように加工、すなわち暗号化する。情報を暗号化し、暗号化された情報を元に戻すためのパスワードである「鍵」は乱数そのものである。コロナ禍におけるマスクの有用性を検証するために行われたスパコン富嶽によるシミュレーション結果を誰でも一度は見たことがあると思うが、ここにも大量の乱数が必要となる。そして、乱数に綻びがあると、世相を表していないアンケート結果になったり、情報が敵に筒抜けになったり、全く的はずれなシミュレーション結果になったりする。乱数は常に我々の隣にいて、綻びの無い乱数を作ることは社会にとってとっても大事なことなのだ。

でたらめの科学

 今回紹介する「でたらめの科学」は、そのような乱数にフォーカスを当てた新書である。この本の魅力、それは乱数という、恐ろしく地味であり、詳しく説明しようとすると沼にはまり込んでしまうトピックを、有識者のインタビューなど収集した情報を元に非常にわかりやすく書いてあることにある。僕はね、こんな本をずっと待っていたんだよ。

でたらめの科学 サイコロから量子コンピューターまで (朝日新書) | 勝田 敏彦 | ビジネス・経済 | Kindleストア | Amazon

見所1:乱数のわかりやすい紹介

 この本は3章構成となっており、第1章では乱数とはなんぞや、乱数をどう作るかなどの基礎的事項が紹介されている。乱数が我々の生活にどう関わっているかという実際的なことに興味がある人にとって、こういう理屈の話は退屈に感じるかもしれない。しかし、この本では物理や数学に関する説明だけではなく、研究者のインタビューや逸話を元にして、一般読者にもわかりやすくなるよう工夫されている。乱数の作り方の中には、ある短い数列を数学的に引き伸ばしたりかき混ぜたりする方法がある。携帯ゲーム機などでも簡単に行えるのがこの方法の強みであるが、種となる数列が短いことから、いずれいつか見た数字の並びが繰り返されてしまうという周期が存在する。そのため、この方法で生成された乱数は「疑似乱数」と呼ばれる。周期が途方もなく長い擬似乱数としてメルセンヌツイスター法が知られている。これを開発した松本眞先生が本の中で紹介されているが、メルセンヌツイスター法に関する論文が中々採択されなかったというエピソードは、研究者でなくても身につまされるのではないだろうか。ちなみに、松本眞先生の個人サイトは、先生のキャラもあって一見の価値があると思う(http://www.math.sci.hiroshima-u.ac.jp/m-mat/index.html)。

見所2:色んな応用例の紹介

 第2章では、理屈の話を抜け出して、乱数の応用という実際的な話題へとシフトする。既に上でも紹介した、ゲーム、アンケート、暗号、シミュレーションに加え、製薬や野球なども紹介されている。ここでも淡白な説明を繰り返すということはせず、1936年のアメリカ大統領選の予測の話からグレゴール・メンデルの研究不正の話、さらには西武の東尾元監督に聞いた野球のサインの話など、身近なエピソードが数多く登場する。ただ、この章の中では量子暗号(量子鍵配送)に関する話が場違いな程に難しいように感じた。もっとも、たった数ページで説明できるような技術でもないのだが。

見所3:「上級者」も飽きさせない最先端の話題

 第3章では、ギアが一気に上がって、最新の研究でにおける乱数の利用が述べられている。核融合炉におけるプラズマのシミュレーション、副題にもある量子コンピュータ、そして多腕バンディット問題など、上級者向けのトピックがひしめいている。僕が特に面白く感じたのは、「物理過程から乱数を作り出す」ことについてのトピックである。自然には天然のでたらめが溢れている。例えば、水分子のゆらぎに煽られる花粉のランダムな運動、いわゆるブラウン運動なんかはその例だろう。こういった現象から乱数を作り出せば、それは理想に近い乱数となるはずである。しかし、「ラプラスの悪魔」よろしく、水中の分子の動きを全て把握することができれば、花粉の動きはもはやランダムではなくなる。そこで、本質的に予測不可能性を内包する量子が登場し、量子コンピュータの話題へとつながっていく。これらの上級者向けトピックの説明は簡単すぎていて、僕には正確かどうかが判定できない。しかし、雰囲気を掴むには格好の題材であると思う。

おわりに

 以上のように、この本は非常に楽しめたのであるが、唯一残念なのが題名である。「でたらめの科学」という題名の下に、サイコロから量子コンピュータと続くので、これらが「でたらめ」であるという疑似科学のような本かと思ってしまった。いずれにしても、乱数についてこのように書かれた本はこれまで中々見かけなかったので、とても貴重であると感じている。今後も、このような本が増えてくれればなぁと感じている。