ふくろうの本棚

ふくろうには似ても似つかない限界独身男性が色んなことを書きます

妖怪ハンター地の巻

小学生時代にCGI掲示板に入り浸り、中学校時代に2chFlashサイトに入り浸り、高校時代にはニコニコ動画に入り浸り、そして大学時代にはtwitterまとめサイトに入り浸っていたオタクの周りを、ネットミームはいつも優しく取り囲んでいた。元ネタの多くは漫画やアニメだ。僕らはジョジョの奇妙な冒険を漫画を読んで知ったのではない。2chだかに貼られた「だが断る!」のコマ画像から知った。僕らはドラゴンボールを読んだことも無いくせに、フリーザの戦闘力を知っている。

諸星大二郎の「おらぱらいそさいくだ」も、僕にとってそんなネットミームの一つだった。前々から知っていたのだが、作者もわからないし、作品名もわからないので、直接触れることはなかった。ついこの間、これが諸星大二郎という作者の「妖怪ハンター」シリーズの一つであることを知った。

どうやら、東北の隠れキリシタンが題材となっているようだ。両親が岩手県の出身で、さらに親族に隠し念仏を唱えていた人がいる僕にとっては身近に感じる題材だ。また、ネットであらすじを読んでみると、どことなくエヴァンゲリオンの香りがする。知恵の実を食べたアダムの子孫と、生命のみを食べたルシフェルの子孫。エヴァでは反対だっけ?また、ルシフェルの子孫が昇天するときの十字架は、使徒が倒されたときのそれと同じだ。ちゃんと調べてないけど、庵野監督はこれを題材にしたに違いない!しらんけど。

どうしてもこの漫画を読んでみたい!復刻されているのかしら、なんて思ってたら、ちょうど近所の大きめの書店で、諸星大二郎の特集コーナーを見つけた。天啓を得たりと、早速文庫版の妖怪ハンター地の巻を買ってきたわけである。

僕は諸星大二郎という作者については、本当になにもしらないので、なんのうんちくも語れない。なので、かんたんな説明に留めるが、この文庫版は、3冊分になっており、地の巻はその第1巻に当たる。短編集であり、1つの話はすぐに読み切ることができる。主人公は稗田礼二という、幅広い領域を取り扱う考古学者であるが、その題材の多くは超常現象などの奇妙な題材ばかりであり、ついたあだ名が「妖怪ハンター」である、異端の研究者だ。若くして某大学(K大学?慶応かな?)の教授であり、さらにはジュリーにそっくりのイケメンである。もっとも、令和に生きる僕らには、「ジュリーにそっくりのイケメン」と言われてもピンと来ないのだが。

この地の巻に、上記の「おらぱらいそさいくだ」の元ネタである「生命の樹」が収録されていた。運がいい。この話は隠れキリシタン、そして、キリスト教にありがちな教えが変化した異教というテーマを上手く取り扱っている。また、その他の話にも日本書紀に出てくるヒルコ、安徳天皇など、実際の神話や歴史に超常現象をうまく絡めていく。「神話に出てくる○○は実はこういう事件が元ネタだったんだよ!」みたいな話が好きな人は、絶対に気にいると思う。すごいのは、フィクションなんだけど、なるほどと思わせる説得力だ。この諸星大二郎という人は、いったいどれだけの書物を読んだら、こういう話を思いつくんだろうと読み勧めながら考えていた。大昔に友達から借りた、「七夕の国」以来の感覚だ。

僕ですら知っているんだから、「生命の樹」が一番おもしろいんかな、って思ってたけど、僕が気に入ったのは、「闇の客人」というものである。ある町が一世一代の町おこしを画策し、そのイベント一つとして90年前に絶たれた祭りを復活させようする。しかし、資料の読み間違いやら、イベント主催者の勇み足やら、いろんな失敗が積もり積もって、とんでもない鬼が鳥居の向こうから現れてしまう。そもそもその祭りは、幸運を呼び寄せることもあれば、鬼も呼び寄せてしまう危険なものであり、当時から死人が出たり人が行方不明になったりしていた。一方、主催者側の一人は東京で、昔その村に住んでいたおじいさんを見つける。その人はもう90歳なんだけど、何でも両親がその祭り行方不明になったという。生き字引として協力してもらうために町に来てもらったら、鬼が暴れまわってて大変なことになっている。すると、そのおじいさんが鬼を返す踊りを踊る。おじいさんと鬼は巨大な鳥居の向こうに広がる、彼岸の世界へと旅立っていた。というものである。

僕は、自分の周りの祭りの由来を知らない。きっと、とんでもない事件が起こって、その魂を収めるために行ったりだとか、もっとシンプルに土地の安全を願って行われるものもあるだろう。そういう、「祭り理由の思いも寄らなさ」を逆手に取ったのが、この話なんじゃないかなぁと思う。舞台の町がまだ村だったとき、とても貧乏であった。だから、村人たちは、成功すれば幸運が訪れ、失敗すれば鬼が来るような、こんな危険な祭りにすがらざるを得なかった、と稗田は考察する。実際、おじいさんは、両親が行方不明になった理由を「貧しい村じゃったから」「神さんと一緒に行っちまうんじゃろナ」と言う。稗田も考察するが、あまりにも貧しいため、鬼と一緒でも、敢えて鳥居の向こう側に行ってしまうんだろう。村が裕福になっていくに連れ、必要性が無くなり、祭りそのものがなくなってしまったのも頷ける。

この話の感想をネットで漁っていたら、こんな知恵袋を見つけた。

諸星大二郎先生のマンガ「妖怪ハンター」の読者の方へ。 - 私はあのシリ... - Yahoo!知恵袋

なるほど、こういう考え方もあるのか、でもネガティブすぎないか、と思ってしまった。ついている回答は、反対の意見ではあるが、僕の解釈とも違う。このおじいさんにとって、鳥居の向こう側の神様の国は、幼い頃に自分をおいて行方不明になってしまった、両親がいるかもしれない世界なのである。このおじいさんは、単にもう先が長くないとか、そういう感情ではなく、きっと神の国で生きているお父さん、お母さんに会いたかったから、敢えて鬼踊りを踊って、鳥居の向こうに行ってしまったんじゃないかなって思っている。

いずれにしても、他の話も全て面白く、このままでは他の巻もすべて買ってしまいそうである。