ふくろうの本棚

ふくろうには似ても似つかない限界独身男性が色んなことを書きます

世界は「関係」でできている

 産経新聞は2021年11月22日付で、岸田内閣が量子暗号技術の研究開発を加速するために、令和3年度補正予算案に約145億円を計上する方針であると報じた。量子暗号とは、いわゆる「量子」の特性を活用することにより、どのような計算機でも解読不可能な暗号通信を実現する技術である。この145億円の予算を、量子暗号の実証実験環境の整備や多数の人工衛星による量子暗号通信の実現のための研究開発に活用していくとのことだ。

news.yahoo.co.jp

 

 「量子」という単語は、一昔前のSFアニメでよく聞いたように思う。僕が中学生のころのアニメ、ガンダムSEEDでは、一部のガンダムが装備する無線砲台が量子通信により制御されていた。また、高校生から大学生にかけて放映されたガンダム00では、量子計算機ヴェーダ」が戦争撲滅のために活動するエージェントである主人公達に指示を出し、主人公の乗機「ダブルオーライザー」は量子テレポーテーションで敵の攻撃を回避できた。

 しかし、近年、これらの技術は急速に実用レベルに到達しつつある。既にIBMgoogleといった大企業は簡単な量子計算機の開発に成功している。量子計算機とは、「量子」の特性を活用することにより、従来の計算機では現実的な時間では解くことのできない問題を高速に解くことができる計算機である。そのような問題は、創薬をはじめとして、ビジネスの現場にあふれている。つまり、量子計算機の開発は経済に大きな意味を持つ。一方で、量子計算機は現在の通信インフラで用いられている公開鍵暗号の解読にも応用できるため、情報セキュリティへの懸念も指摘される。しかし、上にも述べた通り、量子の力は量子暗号という「最強の盾」も提供する。さらには、量子は従来の技術では実現不可能な高速通信や、センシング技術も可能にする。量子はもはやフィクションの小道具などではなく、国や企業の威信をかけて研究開発していくべき技術なのである。

ところで、結局のところ「量子」とはなんなのか。簡単に言えば、この世界の様々な「モノ」を構成している、分割不可能な最小の要素である。例えばレーザ光をフィルターなどで減光していくと、最終的には光子という粒子に行き着く。逆に言うと、光は光子という分割不可能な粒子の寄り集りである。また、量子研究の最先端にある量子重力理論の成果は、空間ですら分割不可能な最小の要素の集まりであることを明らかにした。

 もし量子が、単にピンポン玉やビー玉をミニチュアサイズにしたように振舞うのであれば、冒頭で述べたような量子技術は存在しなかっただろう。というのも、量子は、波としての性質と粒子としての性質を同時に併せ持つというのだ。さらに、その位置と速度を同時に決定することができなかったり(不確定性原理)、相関が遠く離れた2地点間を伝わるように見えたり (量子エンタングルメント)といった、我々が普段見えているスケールでは考えられないような振る舞いもする。

 これらの量子特有の不思議な振る舞いは、量子技術を実現するだけでなく、この世界の本当の姿に関する様々な哲学的論争を惹起してきた。また、量子の不思議さは、専門家とは限らない、一般の人たちの好奇心を掻き立てるに十分なものである。実際、書店には、大学生や専門家向けの教科書だけでなく、一般人向けの解説書も並んでいる。しかし、それらの本を手に取った人々の大半は、分かったような分からないような、そんな詐欺師に騙されたような気分になって読み終えるのではないだろうか。いや、もしかしたらせっかく買った本を本棚の肥やしにしてしまって、年末に古本屋行きにしてしまうというかもしれない。

 今回紹介する本、カルロ・ロヴェッリによる「世界は『関係』でできている」も、そのような量子の一般向けの解説書である。

www.amazon.co.jp

 著者であるカルロ・ロヴェッリは量子重力理論の分野で知られる研究者である。非専門家向けの書籍も多数出版しており、イタリア国内の出版賞も受賞するなど高い評価を受けてきた。河出文庫から出版された「すごい物理学講義」をはじめとして、日本語に翻訳された書籍も多数ある。

www.amazon.co.jp

 「世界は『関係』によってできている」という書名には「量子」という単語が一切現れない。しかし、書名中にある「関係」という単語が、本書の一貫したテーマとなる。つまり、前述した「量子」特有の不思議な性質を煎じ詰めて考えていくと、「実在」=「モノ」の「関係」によって張られるネットワークこそがこの世界の本当の姿であるということが見えてくる、というのが本書の主張である。他の量子に関する本と同じで、やっぱり騙されたような読後間を覚えたのであるが、それでもこの主張は僕の量子に対して持つ疑問を氷解させてくれるものであった。

 例えば、僕は量子を勉強したときに、「観測」という概念にいつも躓く。量子の不思議さを象徴する思考実験に、シュレディンガーの猫というものがある。詳細は省くが、粒子の崩壊に呼応して毒薬を散布する装置とともに密閉した箱の中にいる猫は「生きている状態」と「死んでいる状態」の「重ね合わせ」の状態にあり、箱を開く、つまり「観測」されることでどれか一つの状態に「収束」する、というものである。しかし、ここで観測とは何か。例えば箱からは猫の状態に関する何かしらの信号が漏れ出ているかもしれない。その信号に誰も気づかない時には猫は重ね合わせの状態にあるが、誰かが気付いた瞬間に状態の収束が起こるのか。だとすると、「観測」とはある個人の意識に左右されるというものであるのか。また、猫は自分自身を観測していると言えるから、猫自身から見た猫の状態は収束しているはず。つまり、僕が箱なんかを開けなくても、猫の状態は最初から収束しており、「重ね合わせ」の状態なんというものはいい加減なまやかしではないか。もちろん、この猫というのは(シュレディンガーがボーアたちを攻撃するために設定した)たとえ話であるわけで、猫を量子に置き換えたとするとどうなるだろうか。

 このようないわゆる観測問題をはじめ、量子論における「実在」=「モノ」とは何か、さらには量子が指し示すこの世界の本当の姿は何か、といったトピックは、物理学者のみならず、哲学者も巻き込んで大きな争点を形成している。本書において、ロヴェッリはこの争点に新しい解釈を導入する。ロヴェッリはこの世界が「実在」=「モノ」で構成されているのではなく、「モノ」同士の相互作用=「関係」のネットワークがこの世界の本来の姿であると主張する。我々は、自分と「関係」を持たない物体の状態については何も語ることはできず、それが実は重ね合わせ状態のあるということの本当の意味である。シュレディンガーの猫の例でいうと、猫は猫自身であるため、猫から見ると猫の状態は常にわかっている。一方で、箱の外にいる僕は箱の中の猫とは一切の関係を持たないため、僕から見ると猫は重ね合わせの状態にある。ここで、猫から見える世界と、僕が見ている世界は完全には一致しない。つまり、ロヴェッリが描き出す世界はすべての「モノ」の状態が整合して存在しているというコンクリートなものではなく、「モノ」ごとに相対的なものとなっている。あるいは、ロヴェッリの言葉を借りると「希薄」な世界である。ただ、正直なところ、上記の説明が正しいものかどうかの自信は無い。

 本書の前半ではこのような「関係」に基づく世界観が展開されていき、後半においてはその提案を補強する様々な話題が提示される。その話題には、マッハに影響を受けた19世紀初めのロシアの政治家ボグダーノフの挿話も含まれるなど、ロヴェッリの知識の広さと深さには驚かされるばかりである。また、ナーガ―ルージュナという古代インドの僧侶の著作にも触れられる。ナーガ―ルージュナは、この世の中のすべてのモノは他のモノと関係していることで存在すると主張する。他のモノと無関係なモノは存在しない等しい。これは、上述したロヴェッリの解釈と一致している。なお、僕自身も、ロヴェッリの「関係」に基づく世界観を知ったとき、インドラの網を思い出した。東洋哲学が、世界を絶対的なものではなく、相対的なものとして考えてきたのは確かだ。これは量子が示唆する世界観と親和性が高いのだろうか。実際、波動力学を創出し、シュレディンガーの猫の思考実験でコペンハーゲン学派を攻撃したシュレディンガーインド哲学に傾倒していたと聞く。あるいは、見慣れた西洋哲学やキリスト教に基づく世界観ではなく、新鮮な東洋哲学から刺激を受ける西洋人も多いのだろうか。

 ところで、本書の後半には、翻訳のせいかあるいは元からそうなっているのか定かではないが、僕自身の知識と矛盾する概念が出てくる。6章にて、ロヴェッリはクロード・シャノンが提唱したとする「相対情報」という概念を持ち出す。シャノンは、情報をどこまで圧縮できるか、どれだけの情報をノイズがある通信路を通して送ることができるかといった、通信の品質に関する問題をエントロピーという概念で定量化できるということを見出すことで、情報理論という学問体系を創出した。「相対情報」という概念はシャノンが情報理論を創出した論文で提案されたというのだが、僕はこの言葉をこれまで聞いたことが無かった。そこで、これは「相互情報量(mutual information)」の誤訳か何かではないか、と推測していた。これは、送信者がノイズのある通信路を用いて受信者に送ることのできる情報量を与える。その単語からも、意味からも、相対情報と誤訳をしてしまっても仕方がない。しかし、Wikipediaのカルロ・ロヴェッリの項目(Carlo Rovelli - Wikipedia)を見てみると、確かに「relative information」という項が存在しており、誤訳ではなくロヴェッリが意識してこの用語を用いているようなのである。このWiki曰く、ロヴェッリの論文には

Shannon’s notion of relative information between two physical systems can function as [a] foundation for statistical mechanics and quantum mechanics, without referring to subjectivism or idealism...[This approach can] represent a key missing element in the foundation of the naturalistic picture of the world.

というステートメントがある。Shannon’s notion of relative informationということなので、シャノンの論文でrelative informationというものが提唱されているということなのだ。しかし、手元にあるシャノンの論文の日本語版を参照してみても、同様の単語をすぐには見つけることができなかった。ここは、今後勉強しがいがある点である。

www.amazon.co.jp

 以上、カルロ・ロヴェッリによる「世界は『関係』でできている」を読んでみたが、やはり完全に理解できたとは言いづらい。これは、おそらく、自分の読書の仕方がまだまだ未熟であるからだろう。文章を読んでいるうちに目が滑ってしまい、そこをいい加減にしておく、あるいは滑ったことにすら気づかないために、後でさらによくわからなくなってしまうということがよくある。本書ではその点に気を付けて、意識をして何度も何度も戻って読み直してみたが、それでもやはり分からないところが多々あった。いかにスポンジみたいに本の内容を吸収し、そして自分の言葉として組織化する(ロヴェッリによると、これが知識ということになるらしいが)かが、今後の読書の課題であると感じた。