ふくろうの本棚

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謎の海洋王国ディルムン

 バーレーン王国をご存じだろうか。僕はニュースか何かで聞いたことがあるぐらいで、中東のどこかにあるんだろうなと漠然と思っていた。Wikipediaで調べると、ペルシア湾バーレーン島および大小33の島からなる立憲君主制国家であるとのことだ。1800年台までは真珠の養殖で有名であったが、その地位はジュエリーミキモトの創業者である御木本幸吉が世界で初めて真珠の養殖に成功したことで大きな打撃を受ける。一方で、1932年に石油の産出に成功し、世界でも有数の富裕国へと成長する。

 このバーレーン島には、今から数千年ほど前にディルムン王国という国が存在していた。

 当時ペルシア湾の近くにある、チグリス川とユーフラテス川に囲まれた沖積平野には、世界最初の文明といわれるメソポタミア文明が存在していた。肥沃な土壌にチグリス川とユーフラテス川から水を導きいれる灌漑農業を実践できたことがこの文明の成立要件である。農業により多くの人口を養えたことから、階級が生まれ、物流の流れを管理するための文字体系が整備されていく。

 しかし、川から流れ出た土砂がたまってできた沖積平野では鉱物資源が乏しい。武器などの素材となる銅や錫のような金属や、宝飾品として使われ始めていたラピスラズリを獲得するためには、東方のアフガニスタンインダス文明、北方のアナトリア、そして南方のオマーン半島との貿易が必要となる。バーレーン島のディルムン文明は、特に南方や東方との貿易のハブとなることにより、その勢力を拡大してきた。

 少なくとも僕が中学生の時には、中学校の歴史の授業で4大文明の一つとしてメソポタミア文明を教えられた。実際、メソポタミア文明は日本人にとってもなじみが深く、大きめの書店ではこの文明を扱った本もいくつか見つけることができる。しかし、僕が知る限り、ディルムン文明のみを扱った本はこれまでほぼ存在しなかった。唯一の例外は後藤健による「メソポタミアとインダスのあいだ」である。

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ただ、この本の題名には「ディルムン」という単語が含まれていない。だからこそ、近所の本屋で安部雅史による「謎の海洋王国ディルムン」という本を見つけたときにはとても興奮した。古代中東史(と言っていいのだろうか?)の研究の最前線がここにあり、手に取ることができるのだ。

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 「謎の海洋王国ディルムン」は読みごたえのある名著である。200ページ強という比較的短いページ数の中にディルムン文明の知識が凝縮されており、素人の僕が読んでもとても分かりやすかった。この理由はよく練られた構成にある。まず第1章にて現在のバーレーン王国(書中ではバハレーンと表記)の紹介を行う。続く第2章では先駆者たちの紹介を通して、これまでのディルムン研究の発展の様子を概略する。ここまでの準備を経た上で、ディルムン王国そのものの説明を第3章から第6章をかけて行う。この構成からは、単に事実を羅列するような無味乾燥な説明ではなく、読者にディルムンを真に分かってもらえる説明をしようとする気概を感じる。

 第3章で説明されるディルムン文明の歴史は、南メソポタミアとの交流を軸にして説明される。南メソポタミアの交易の内容はその情勢によって変化するわけであり、実際に貿易のハブであるディルムン王国はその影響を受けて発展していく。そのため、ディルムンの歴史を南メソポタミア文明と関連付けで説明するのは極めて自然であるし、非常にわかりやすかった。第4章ではバーレーン島で発掘された遺跡について解説し、第5章では発掘された遺物から推察される人々の生活について説明する。そして、第6章では南メソポタミアの情勢変化によってディルムンが衰退していく様子が語られる。その衰退には銅の新しい交易ルートの開拓や、新バビロニアや新アッシリア、アケメネス朝ペルシアのような巨大勢力の台頭が上げられるようだ。

 僕が古代の中東の歴史に魅力を感じるのは、人々の生活の発展に伴って情報伝達の方法が発達していた様をうかがい知ることができるからである。本書の第5章は、その好奇心を満たすのに十分の内容であった。例えば、ディルムンやメソポタミアでは、貿易品には各種品目に対応した「トークン」を添付した。このトークンと貿易品が対応していれば、正しく輸送がなされたということの証になる。そのトークンの完全性、すなわち、改ざんの可能性の排除は、それらを粘土に包んだうえで、印章を施すことで担保される。紙やプラスチック、ましてはコンピュータが発明されるはるか昔にこのようなアイデアが育っていることは非常に興味深い。それだけ貿易が人々の生活に根差していた証拠である。また、情報伝達とは関係がなくなってしまうが、ティファールよろしく、取っ手を取り外すことのできるフライパンも出土している。用いられている素材は古いものの、アイデアが現在とそん色のないことに驚かされる。ほほえましいものでは、今もこのあたりで食されているナツメヤシの実、つまりデーツが当時から食べられていて、そのせいでディルムンの人たちも虫歯に悩まされていたというものもある。

 過去の書籍と比較してしまうのは仕方がないのだが、先行する「メソポタミアとインダスのあいだ」と比べて読みやすく、繰り返しになるが初学者向けであるように感じた。「メソポタミアとインダスのあいだ」も優れた本であったが、ディルムンのみではなく様々な文明を扱っていた。さらに、内容も難しく、入門書というよりも研究書といった趣であった。「謎の海洋王国ディルムン」を一通り読んで後に、「メソポタミアとインダスのあいだ」を読むとより深く理解ができるかもしれない。